東京国際映画祭『わたしを離さないで』
2010.10.31『わたしを離さないで』
監督:マーク・ロマネク/2010年製作/イギリス=アメリカ
本作は、数々の文学賞受賞作品で有名な日系イギリス人著者、カズオ・イシグロによる最新小説『わたしを離さないで』が原作のイギリス映画。彼による’89年の著書『日の名残り』はアンソニー・ホプキンスやエマ・トンプソン主演で’93年に映画化され、アカデミー賞では8部門にノミネートされた。そんな彼の最新作『わたしを離さないで』は早川書房から日本語版も発刊されているだけに、ピンときた読者もいるだろう。とは言え、読んでいない読者のために、ここではストーリーにあまり触れない形で紹介していこう(恐らく本作の日本上映もあるだろうし)。
設定は至ってシンプル:イギリスはヘールシャム寄宿学校で育つ3人、キャシー、ルース、トミーの友情と青春を子供時代から20代まで追う内容だ。この学校の生徒は校内を囲む塀から一歩も越えてはならず、外界から隔離された生活を送っている。そしてその他の生徒が皆そうであるように、この3人は或る特別な “宿命” を背負っている。それが彼らにとって、そして彼らを取り巻く社会にとって何を意味するのか。そこが本作の核になってくる訳だが、ニュアンスをぼかして言うなら、私たちがいま生きている時代ではまだ成立していない倫理や道徳観、あるいは画期的な近未来科学が本作の世界では成立していて、3人はそんな運命を背負いながらも懸命に生き抜こうとしているのだ。
SF映画であれば通常、 “近未来感” を物語の隅々に溢れさせることで非現実感を訴えるケースが多い(例えば “キラキラと輝く謎の鉄成分で設計された建築物” や “一見コスプレかのような宇宙服”、あるいは “至る場所に設置されたモニター” などなど)。それに対して本作品のユニークなところは、そうした近未来科学を採用しているにも関わらず、舞台を70年代後半からのスタートとしている点。核となる近未来科学はこの時点で既に完成していて、主役の3人は生まれしてその恩恵を受けている。しかし彼らが10代後半にまで成長しても、舞台はまだ80年代。当たり前ながら彼らは80年代のファッションに身を包み、赤煉瓦のコテージで田舎暮らしをしている。そんな姿を見ていると、古き良き時代へのノスタルジックな想いが込み上げてくると同時に、本作の近未来感のなさに戸惑ってしまう。
つまり、私たちのいる現代から比較すれば、彼らの住む世界はおおよそ “近未来” と言えない。ストーリーも’94年で終演する。つまり、2010年の今にすら到達していない。にも関わらず、近未来科学と彼らの宿命だけが極めてSFチックな異彩を放っている。そのギャップがおぞましいほどの違和感となって、じわじわと襲いかかってくるのだ。やがて悲劇的な展開を繰り広げる頃には “何かが間違っている” といった本能的な嫌悪感を抱だくものの、それでもただ傍観しか出来ない自分への苛立ちさえ込み上げてくる。
『私を離さないで』には、“泣ける映画” だとか “感動作” などといった形容詞では到底表現できない、静かなる絶望と悲壮がある。日々目まぐるしく変化する世界でただなんとなく生きている私たちに、一度立ち止まり、考えることを促す映画だ。いつかその日が訪れる前に……。
(LEONA)
東京国際映画祭|わたしを離さないで
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